2016.07.04 猫について
おはようございます、花立です。今回は猫についてです。
このブログをご覧の皆さんはご存知かと思いますが、ハナプロの事務所はアパートの中の道路側の一室を事務所として使用しています。
敷地内は完全に舗装され、メーター等が設置された建物裏側のわずかな範囲に砂利が敷かれているばかりなのですが、その砂利のところにクソを垂れる不届き猫がいるようなのです。
いや別にクソはいいんです、何を隠そう私は猫好きです。野良猫やそれにえさを与えることの是非について議論するつもりはありません、少なくとも私は進んで野良猫を世に放とうとも餌をやって肥えさせよそ様に糞害を被らせようとも思っておりません。
しかし、すでにいるもんはしょうがないし、この辺も大分変わったからね、他に掘るとこないしね、うちで良ければ好きに垂れなよ、とは思います。思いますが、ちょっと触らせろ、というのが正直な感想です。
何かに対して対価を求めるのは浅ましいことでしょうか?ものによりますね。今回のケースでは、気持ちよくクソを垂れる猫、それを許容し保健所に通報しようとは思っていない私、という構図において、猫サイドは一体何を私に与えてくれたのでしょうか?ウンコでしょうか?
それではウンコは対価足り得る、即ち価値を有しているのでしょうか。ウンコですよ?体内の不要なものの塊ですよ?それを人様の敷地内に遺棄する、これははっきり言って愚弄です。無害な蓄光物質を餌に混ぜ、それを食べた猫がしたウンコは夜な夜なグロウ、つまりぼんやりと光るのでしょうか。
極まれば愛とは、とことん相手の存在を認め、見返りを求めないことである、と言えるでしょう。今回でいえば、ありがとう、僕はただ君が猫であり、痛快に排便する様を心に思い描くだけで深い安らぎを覚えるよ、本当に生まれてきてくれてありがとう、ということになります。
そういった意味では、どうやら私は真の猫好きではないようです。どうしても直接の触れ合い、デレ、ふみふみを求めてしまい、つまりは物欲に支配されており、高尚な精神性とは程遠い愚か者であることは明らかです。しかもウンコされたことによって道義的アドバンテージを得たと誤認し、嵩にかかって見返りを求めていた訳ですから、悪代官、そうとう底意地が悪いと言わざるを得ません。
なんでウンコされてる側なのに自己批判しているのか、どうしてこうなったのかは分かりませんが、あなたの快適な生活を応援しているハナプロでは、台所やトイレのリフォームも手掛けております。
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終わり